考えたことをただ話せる(聞ける)という状況の大切さ

ある就職合同説明会であった本当のお話。説明側としてブースで待機していると、顔見知りの高校生の男子がまた来てくれました。前の春先の就職説明会でもお話しを聞いてくれた彼です。名前も知らない(聞かないルールです)彼ですが、おもむろに、「俺、就職やめて進学したくなってきたんです、話きいてもらえますか」とのこと。うん、考えてますね。そう言えて、すごいねエライね。となりました。こういうときはさんざん迷ってその都度決断してきた経歴をもつ弊社K女史の出番です。どうしてそう思ったの、から始まって、うんうん、そうだねと喋っているうちに、お互い共感するところが多かったのか、話は尽きず、そうこうしているうちに1ターム終了5分前になりました。すみません時間無くなっちゃって。いえいえ、こちらもちょうど空いてたし。できるかな。まだ間に合うんじゃない。考えてみます、ありがとう。うん、またね、などと名残を惜しみながら、彼は笑顔で帰っていきました。

「どうして私たちにその話してくれたの?」と聞くと、家族は大げさに反応されるからしゃべりづらいし、友達は就職組だから話しづらいし、ここならただ聞いてもらえると思って。とのこと。お正月特番のNHKの「レンタルなんもしない人」のテレビをみていて、このことを思いました。

前の記事

風邪をひきました