わたしの感謝の話

3.11の私の話。この日は新潟県は村上の営業先に向かって営業車で走っている所でした。神林ハム(おいしいですよ)の店舗の前あたりの国道を北上し、交差点で信号が赤になり停車しているときでした。突如車が長く大きく揺れて、電柱や電線が激しく揺れ動いて、対向車線のトレーラーがバウンドしてハネており、これはただ事じゃない、ということで予定をすべてキャンセルしてもらい、会社に帰り、テレビを見て。あとは世の皆さんがご存知のとおり、の事態でした。

それから私は福島市への転勤の辞令を受け、復興支援の名のもとに、福島県北と沿岸を担当する営業マンとして転勤しました。そこでは体重130キロを超える所長さんやたくさんの仲間とともに、濃密な2年間をすごしました。おいそれとは語ることのできない、いろいろなことを見聞きして、決して忘れられない2年間となりました。

食べることが大好きな所長さんと一緒に行った、福島駅前の更科そば食べ放題のおみせ。とってもおいしいソバですが、なにせ食べ放題。もうおなか一杯で、そばはもう食べられません、という僕に、大食漢の所長は、おいコセキ、おなかがいっぱいなら、ソバをのどまで入れるんだ!喉がいっぱいになったら、血管に入れるんだ!と意味の分からないことを言ってお店の人を驚かせていました。お店を出たあと、ラーメン食ってくか、と言った所長。いまでもあのやり場のない満腹感と、所長の笑顔を、夢にみます。

なにせ忙しい中でちゃんとした食生活を送るのも難しく、いろいろ不摂生もしていた私の転勤に後追いする形で、妻が引っ越してきてくれました。そこからはとにかく助かりました。ただただ感謝につきません。

で、その時の「思い出の品」の話になるわけですが、福島円盤ギョーザの「照井」、サラリと食べられておいしかったです。と、レパコガーデンのイチゴのショートケーキ、がとってもおいしくて気に入りまして、

なんとびっくり!あれから、いつのまにかレパコが新潟県に進出しており、4店舗を出店していたのです。

長くなりましたが、結論としては、妻への感謝ということであのケーキをホワイトデーのお返しに贈ろう、というノロケのような話でした。長文失礼しました。いつもお読みいただきありがとうございます。

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